ゴジラ・キング・オブ・ザ・モンスター
ずいぶんと長いこと更新をしていなかった。
2017年の暮れに母が家の中で転倒し、頭を切った。
おそらくそれが転換点だったのだと思う。
それから1年半。
長いようで短い期間だった。
その話はまたそのうちすることがあるかもしれない。
今日、本当に久しぶりに映画を見に行った。
「ゴジラ・キング・オブ・モンスター」
いろいろ不満はある。
しかし、面白かったことは認めざるを得ない。
面白いということが、必ずしも作品の質と一致しないのはしかたないこと。
以下はネタバレになるのでご注意を。
ゴジラとキングギドラとモスラとラドン。
この怪獣がバトルを繰り広げるというだけで、楽しくなってしまう。
特に音楽にオリジナルのテーマが利用されているところは感動ものだ。(アレンジに違和感があるものの)
CGで作られた特撮シーンはやはり素晴らしい出来。
というか、それを見せるだけの映画とも言えようが。
シナリオはごたごたしすぎ。
詰め込みすぎて、ストーリーがぶち切れになっている。
いったいなぜ芹沢博士は死にに行ったのか。
その辺の説得力は全くない。だから感動もない。
エマ博士の死も全くの帳尻合わせでしかなくて、まあ死ぬしか無いよなと初めから決まっていたから死んだだけ。「オルカ」ってどこまで怪獣に聞こえるんだよって思った。モスラの幼虫はともかく、バトル中のキングギドラに聞こえるのか。
なにより、核兵器の具現化であるゴジラをもう一度核兵器の力でよみがえらせて、しかもそれが地球環境の崩壊と人類の滅亡を防ぐ唯一の存在だとは。
しかもゴジラは神様で人間より偉いというのは、核兵器を頂点とする軍事力(映画では古代怪獣の力として表現されているが)こそが人類に平和をもたらすのだという、まさに後戻りしたアメリカの大国主義思想そのものではないか。ほんと、やめてもらいたい。
海底で核爆発が起きた直後に裸同然で潜水艦の上からのんびり状況を眺め、汚染されているはずの海水を頭からかぶり、ゴジラが通った放射能汚染されているはずの場所が自然回復の起点になってしまうなど、ともかく前作にはまだあったと思えた核と放射能汚染への警戒感が全く無くなっている。
それでいて敵役は「環境テロリスト」なんだって! なんだ環境テロリストって。そんなの本当にいるのか。
結局、グリーンピースとか、先鋭的環境保全団体をテロリスト呼ばわりする反環境保護主義、権力と大企業にべったりのエセ環境派的立場からの視点と言わざるを得ない。
うがったついでに言えば、もう「ひとり」の悪役であるキングギドラも、地球外生命体だから悪者扱いされているわけ。排外主義でしょ、これ。
ギドラもオルカが使えるんだから、意思疎通だって可能なんじゃないの。そもそも古代人の壁画とかではゴジラと並んで神様にされてるんじゃないの。
やっぱりシナリオが悪い。
困ったもんだ。
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